
※3/30志村けんさん(70)の訃報が届きました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
新型コロナウイルス検査の結果、
陽性の疑いで都内の病院に入院中であることがわかった志村けんさん。
症状は重篤ではないものの、
今月下旬に予定されていた山田洋次監督による初主演映画「キネマの神様」撮影延期をはじめ
テレビのレギュラー番組などに影響が出る模様です。
ここでは志村けんさんが所属するザ・ドリフターズというグループについて調べてみました。
Contents
音楽バンドとして結成されたザ・ドリフターズ
志村けんさんというとお笑いのイメージが強いですが、
ザ・ドリフターズは結成当初、音楽バンドとして活動していました。
ハナ肇さん率いるクレージーキャッツの後輩として、
マウンテンボーイズと東京ウエスタンボーイズが合併する形で
1956年、ザ・ドリフターズは結成されました。
メンバーには坂本九さんも
メンバーの入れ替わりが激しく、
坂本九さん、小野やすしさんといった元メンバー4人がドンキーカルテットを結成して脱退後、
荒井注さん、高木ブーさん、仲本工事さん、綱木文夫さんが加入し、
新制ドリフとして6人体制でスタートしています。
綱木文夫さん、荒井注さんの脱退後に正式見習いとして加入したのが志村けんさん。
いかりや長介さん、高木ブーさん、仲本工事さん、加藤茶さん、志村けんさん
の5人体制が続きました。
いかりや長介さんが2004年に亡くなった後、新メンバーの加入はなく、
4人で構成されています。
ビートルズの前座を務めたバンド時代
バンド活動としては、カバーソングや替え歌が主流でしたが、
1966年6月30日にはビートルズ日本公演の前座を務め、
一躍注目を集めました。
1970年には「第12回日本レコード大賞大衆賞」や
「ドリフのズンドコ節」で「第1回日本歌謡大賞放送音楽賞」を受賞。
加藤茶の交通事故により出場は叶わなかったものの、
『第21回NHK紅白歌合戦』への出場が内定するなど、
ミュージシャンとしての実績も多く残しています。
お笑い番組の金字塔『8時だョ!全員集合』
結成から4年ほど音楽バンドとして活動していましたが、
映画やテレビへの出演が増えるにつれて
コミックソングやコントが活動の主流となっていきました。
なかでも1969年10月4日~1971年3月27日、1971年10月2日~1985年9月28日に
TBS系列で放送されていたお笑い番組『8時だョ!全員集合』は
長年にわたって人気番組の上位に君臨していました。
食べものを粗末にしたり、ちょっぴり乱暴、ちょっぴりエロティックなネタもあり、
PTAの目の敵にされることもしばしばありましたが、
それだけお茶の間に浸透した番組だったといえるでしょう。
『8時だョ!全員集合』後はそれぞれの活動に専念
人気番組『8時だョ!全員集合』の終了後、
加藤茶さんと志村けんさんはバラエティ番組
『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』を始めます。
いかりや長介さんは俳優として、
高木ブーさんはミュージシャン、仲本工事さんは舞台と
それぞれの場で活躍されています。
いかりや長介さんは『踊る大捜査線』での演技で知る人も多いかもしれません。
仲本工事さん、高木ブーさん、加藤茶さんはのちのこぶ茶バンドを立ち上げ、
地方巡業を行っています。
一方、志村けんさんは司会業をはじめ、お笑いの道を突き進んでいますね。
ザ・ドリフターズの皆さんの活躍をまだまだ見たい!
ザ・ドリフターズのメンバーは最年少の志村けんさんでもすでに70歳。
70代、80代のご高齢です。
往年の身体を張ったコントは難しいでしょうが、
年季の入った佇まいもすてきです。
皆さんの活躍をまだまだ見たいね。
志村けんさんの三味線も圧巻でした(※3/30追記)。