
キューバのシンボルともいえるのがクラシックカー。
クラシック映画の中でしか見かけないような古いアメリカ車が
今でも現役でクラシックな街並みを走っています。
キューバといえば、2015年までアメリカと国交断絶していたのは有名な話。
それなのにアメリカのクラシックカーが走っているのは不思議ではありませんか?
現地の人たちから聞いた話も交えながらそのあたりを解説してみます。
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かつては仲良しだったキューバとアメリカ
1492年にコロンブスによって「発見」されたキューバは
スペインの植民地として、砂糖や奴隷を基軸に産業を発展させます。
1868年にはスペインからの独立を目指し、
第一次キューバ独立戦争が興りますが部分的な独立にとどまり、
1895年にホセ・マルティが率いた第二次キューバ独立戦争を支援したのがアメリカでした。
(ホセ・マルティ記念博物館:http://sunsmilestars.com/2020/03/01/havana2/)
アメリカのおかげで、キューバはスペインに対して圧倒的な勝利を収め
キューバにはアメリカから莫大な資本が注ぎ込まれました。
アメリカ資本も多数進出し、キューバは急激な発展を遂げますが、
同時にメイン産業はアメリカに支配され、
国内における貧富の差は広がっていきました。
そして、キューバ革命へ
クーデターにより政権を握り、親米政策と独裁を進めたバティスタ打倒を掲げ、
1953年7月26日、フィデル・カストロ率いる小隊がバティスタ政権のモンカダ兵営を襲撃。
これがキューバ革命の幕開けとなります。
(モンカダ兵営:http://sunsmilestars.com/2020/03/05/cuba2/)
モンカダ兵営襲撃は失敗に終わりますが、
その後もフィデル・カストロはチェ・ゲバラとともにゲリラ戦を続け、
約2年を経て1959年1月1日にはバティスタが国外逃亡。
革命政権が誕生しました。
世界を震撼させたキューバ危機
革命政権の首相となったフィデル・カストロは
当初、アメリカとの友好的な関係を続けようと試みますが、
アメリカからは冷遇されます。
キューバもそれに反発し、
当時、アメリカと冷戦状態にあったソ連がキューバに急接近。
キューバは社会主義国の道を歩み始めます。
キューバはアメリカ資本を接収し国有化で対抗、
1961年1月3日、アメリカは国交断絶を通告しました。
そして1962年、ジョン・F・ケネディ政権下のアメリカは
カリブ海におけるキューバの海上封鎖を決行。
キューバを介したソ連とアメリカによる核戦争突入の危機に全世界が震撼しました。
これでアメリカとキューバの決裂は決定的なものとなりました。
キューバを走るクラシックカー
アメリカによる経済制裁や国交断絶に伴い、
自動車や鉄をはじめとする自動車生産に必要な部品の輸入ができなくなり、
また国内で自動車を生産する技術や材料も乏しかったため、
キューバでは1959年以前に輸入された自動車が現在でも現役で走っています。
新車を買うことを許された人びと
2011年まで政府の方針によって新車の販売は禁じられており、
中古車のみが売買されていました。
でもキューバ国内で走っている自動車がすべてクラシックカーかというとそうでもなく、
興味を持ったわたしは現地のタクシードライバーに聞いてみたことがあります。
彼によると、政治家、医者、弁護士、自動車を使う仕事に就いている人(タクシードライバーなど)は
特別に新車を買うことを許されているそうです。
国交回復後のキューバは…?
アメリカとの国交正常化後は、若者がiPhoneを片手に街を闊歩しているキューバ。
数十年の鎖国状態を経て、これから激動の時代を迎えそうです。
ぜひ今のうちに、キューバを堂々と走り回るアメリカのクラシックカーを見ておきたいですね。
